前澤三恵

2007年10月20日 (土)

デモクラカンパニー1 米パタゴニア社

企業の民主化ということを説明するには、実際の会社を紹介するに限ると思う。

その第一弾として、米パタゴニア社を選んでみた。

アウトドアに興味があるかたならば良くご存知のブランド、「パタゴニア」。
会社の目的は、人間を生かしてくれる地球環境を守ることであるとし、オーガニックコットンへの切り替えやペットボトル再生フリースの販売など環境を重視する経営で有名だ。

この創業者のイヴォン・シュナイナード氏の「社員をサーフィンに行かせよう」という本を大変興味深く読んだ。

「社員をサーフィンへ行かせよう」というのは、パタゴニアのルール.
このルールを取り入れた理由は、単なる社員への福利厚生だけではない。

まず一つ目の理由は、「責任感」

いちいち、サーフィンにいってもいいかを上司にお伺い立てるのではなく、自主的な判断でサーフィンに行く。
そのために自分でスケジュール管理をして遅れがでたら自分で取り返せばいい。
そうした判断を社員一人ひとりができるようになるという目的。

第2に「効率性」

好きなことをおもいっきりやれば、仕事もはかどるはず。
そして、サーフィンに行く為には、効率的に仕事をする方法をみんなが考える状態をつくりだす。

第3に「フレキシブル」であるため。

サーフィンでは、良い波がいつ来るかわからないので「来週の土曜日の8時から」などと前もって準備することができない。
いつでも良い波がきたら出かけられるように、フレキシブルな対応ができるようになること。

第4の理由は「協調性」

サーフィンに行く為には、仕事をお互いに頼みあう必要があり、そのためには誰がどういう仕事をやっているのか、周囲の人が常に理解していなければならない。仕事を一人で抱えこむのではなく、助け合える状態を作れるようになる。

五つ目の理由は、商品開発や販売の為。

パタゴニアはアウトドア製品の開発販売会社。
アウトドアが好きで誰よりも深い知識をもっている、そんな人々を雇いたいから。

5番目の理由はパタゴニアならではのものだが、第1から4までは、どこの会社でも通じることなのではないかと思う。

一般に企業が社員を管理しようとするのは、社員がほっておくと際限なくサボるのではないかという不安からだろう。
しかし、管理というのも、し続けるときりがない。
恐怖に目をつぶって、社員が判断力のある一人前の大人だと信じて社員の自主性を高める必要があるのではないだろうか。
もちろん、中にはそのままでは自律が難しい人もいるかもしれない。
その場合には、自律を促す仕組みや制度を取り入れてみることが必要だろう。

社員をサーフィンに行かせる。
これも一つの自己管理のための仕組みなのだ。

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2007年9月13日 (木)

働くおばあちゃん95才

 毎年、北海道に帰省するたびに街がくたびれていくことに気がつく。
産業が下火になり、取り残されたようにお年寄りばかりが増えていき、どことなく活気がない。
こういった現象は私のふるさとばかりではなく、どこの地方でも起こっていることだろう。

徳島県上勝町。

この町も20年前までは過疎と高齢化と沈滞した農業とに苦しんでいたそうだ。
そして、20年後の今も高齢化の状態には変わりがない。
変わったのはこの街の活気。
お年寄りが嬉々として仕事にいそしんでいるらしい。
最高齢はなんと95才である。

上勝町は料亭などに料理に添える葉っぱや花などの「つまもの」を出荷している。
ゼロから開拓した「つまもの」市場の8割のシェアをしめ、320種類もの「つまもの」を平均年齢70歳のおじいちゃんおばあちゃんが体も頭もフル回転させて出荷しているのだそうだ。
中には年収1000万円を超える方もいらっしゃるらしい。

先日、この「つまもの」ビジネスの仕掛け人の横石知二さんと糸井重里さんの対談を聞きに行った。
あまりにもたくさんの成功要因があるためすべてを紹介することは難しいが、その中でデモクラシーの視点で印象的だったのが、「お年寄りが社員として雇用されているのではなく、全員個人事業主として独立採算制をとっていること」だ。
「そうでなくては多分これほどの成功は収めなかったであろう」というのが、横石さんの意見である。

まず、個人事業主であることの利点は、やったらやっただけ自分の利益となることである。
出荷率や売上げのランキングが毎日更新され、なんとお年寄りが毎日それをパソコンでチェックしては、ライバルを見つけて競争しているという。
「今日はあの人に勝った、負けたと思うたりする。それがよう似たレベルの人とだったら、自分の張り合いになるけんな。」と針木ツネコさんはいう。
その競争心があらたな工夫を生み出す原動力になる。

例えば背の高い木は平地に植えずガケ地に植えれば山の上に上るだけで簡単に収穫ができる。
わざと日のあまりあたらないところに苗を植えて、出荷の時期を長く確保する。

などなど枚挙に暇がないほどの知恵だ。

思いついたらすぐ行動。だれに許可を得る必要もないのだ。
そして、それが年収という結果に結びつき、いきがいに結びつき、健康に結びつく。
とうとう、老人ホームが町から消えてしまったそうである。
徳島県で老人率が一番高い町なのにも関わらず、高齢化に付随する諸問題、医療や介護が消えてしまったのだ。

また、成功や経済力から生み出される自信から当事者意識やコミットメントが生まれる。

あるおばあちゃんは、農林水産省の人が視察に来たとき、 「今度、シラクさんが来られるみたいですけど、晩餐会はやらないでしょうか。もしやるんでしたら、ぜひうちの「彩」をつこうてください。」 とおっしゃったそうだ。
自分の仕事やお金に責任を持つとそこから地続きで地域や国、世界にも興味がでてくるものだ。
20年前までは助成金をもらって国に面倒をみてもらうことだけを考えていた人々だ。
農業は構造不況だと人のせいにしていた人々が、自分の人生や社会にまで責任をもつように変わったのだ。

もちろん、これは個人事業主だからこうなったのではなく、自腹を切ってマーケティングに奔走した横石さんの力があってのことだろう。
しかし、横石さんがこれを自分の会社の事業として、お年寄りたちを雇用する形で行っていたら、これほどお年寄りたちがこの事業を自分たちのこととして考えられていただろうか?
おばあちゃんたちが繁忙期には夜中の2、3時まで出荷作業をする。
そしてそれに誇りをもって嬉々としている。
こんなふうにはならなかったに違いない。

すべての会社が社員の雇用をやめて個人事業主として契約するようにしようという話をしようというわけではない。
個人事業主にはそれなりのデメリットもある。
例えば、経理といった間接的なコストが余分にかかったり、みんなを同じ方に向かせることが難しい。
たまたま上勝町には横石さんというビジョンを示せる人がいたからうまくいっているのだ。

むしろ、一つの企業としてのよさを生かしつつ、こんな風に人々にいきいきと働いてもらうにはどうしたらいいのかを考えるほうが早道かもしれない。

どれだけ透明で納得性のある報酬制度が作れるか。
どんな風にすれば現場がどんどん改善する権限の委譲ができるのか。
どのようにすれば全体が底上げされるような健全な競争が生まれるのか。

雇用される人々が自律的にいきいきと働くためにはどのような仕組みが必要なのかというヒントがこの話にはつまっているように思うのだ。

参考;横石知二著「そうだ、葉っぱを売ろう!」ソフトバンククリエイティブ 定価1500円

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2007年9月10日 (月)

戦わない

9月10日は世界自殺予防デーなのだそうだ。

日本では、平成10年以来9年連続で年間3万人を超える自殺者数と発表されている。
大きさがぴんとこなかったので、交通事故の死亡者数を調べてみた。
平成18年の死亡者数 約6300人。
交通事故でなくなる方の5倍の方が自ら死を選ばれるというのはいかにも残念だ。

メンタルヘルスという言葉が定着して久しい。
過労死、過労自殺というものを考えるとき、自己を実現する場としての職場というものの機能が少しおかしくなってしまっているのかと思う。 競争や利益の追求をするときにハードな労働は当たり前で、そこについてこれないものは弱者であると考えることは果たして日本という社会を本当に強くするのだろうか?

そんな疑問にヒントを与えてくれるのが、浜口隆則著「戦わない経営」だ。

「自分の生まれてきた意味を知っている人は強い。
 たくさんの人が失敗してしまう中で
 あっさりと成功してしまう人がいるのは
 自分の居場所を知っているから。

 自分の居場所というのは社会から与えられている。
 だからその居場所を見つけられた人には責任がある。
 使命ができる。
 それがミッション。」

戦わない経営とは、戦わないというよりも、戦う必要のないポジションを探そうというスタイルの経営だ。

これは経営にだけいえるのではなく個々人の働き方にもいえるのではないかと思う。自分がもっとも活かされる場所でもっとも活かされる働き方をする。労働量の多寡にかかわらずストレスもずいぶん緩和するのではないかと思う。

そして、その個々がもっとも活かされる場を提供するものが会社であることができれば、会社という社会も多様で耐性の強いものになるように思う。

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2007年9月 7日 (金)

5人の客に4個のパン

 時折、残念な接客にぶつかることがある。

 友人達と、あるイタリアレストランでランチを食べたときのことだ。
女性5人のランチで、ランチコース5人分では少し量が多そうだから、コース4人前を5人でシェアすることにした。

料理と一緒に運ばれてきたバスケットの中には、パンが4つしかない。
4人前を頼んだのだから仕方がないかと、

「追加でもう一つパンをいただけませんか?」と頼むと「できません。」という。

「それでは、パンを半分に切っていただけませんか?」と頼むと「それもできません」という。

少し不満に思いつつも仕方がないかと料理を食べて、あらかたパンを食べ終わったときのことだ。
「パンのおかわりいかがですか?」とパンのおかわりをもってくるではないか。
パンのおかわりはできるが、最初に頼んだのは4人分だからそれを食べ終わるまでパンのおかわりができないというのが先方の言い分らしい。

「本当は4人前なのでパン4つなのですが、今回はサービスでもう一つお付けしますね。」

と対応してくれればその店のファンになったと思う。
ちょっとした対応でファンが敵になってしまうから商売はむずかしい。

 そのウェーター氏が普段からそんな風に気が利かない人間だとは思えない。おそらくはマニュアルを破ることで後で問題になるのが面倒なのだろう。お客さんを見ずにマニュアルばかりをみるというのは、この店に限らずいろいろな場面でぶつかることだ。

 マニュアルに文句をつけるつもりはない。

マニュアルというのは、誰でも一定のレベルのサービス(業務、商品)をこなせるようにする為のものなのだから社員教育には欠かせないものだと思う。

問題なのはマニュアルが作られた精神が語られず、その精神に基づいて一人ひとりの社員に自分の頭で判断させる習慣がないことだ。

先の例で言えば、例えば1人前を5人でシェアしてパンを大量におかわりをされては、原価割れしてしまう。だから人数分のパンしかださないということがマニュアルの意図だろう。
その意図に反しさえしなければ、パンを余分に1つ配ったからといって何の問題もない。
お客さんにとって心地よいサービスになるように、お店側が損しない程度のおまけを社員の判断でできるのがいちばんいいのだ。
その為には、判断の材料(知識)を身につけられるような土壌(風土)を作っていけばいい。

その土壌がデモクラシーなのだ。

マネジメントのデモクラシーは、単に従業員の満足をあげる為だけではなく、顧客サービスの向上やその結果としての業績の向上の為にも役立つものだと思う。

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